先日 ひょんなことがきっかけで 外食ではひさーしぶりに
家族水入らずとなりました
大の大人が5人 父 母 兄2人 私
いつものように 笑顔で なんでも話せて
お酒を酌み交わして 楽しい楽しい
でも 今までとはちょっと違って
命のことを考えながらの時間でもあって・・・
家族で話すのは やっぱり照れくささもあるけれど
でも 話せるときに話したいって そう思って
私が今思っていることを 言葉にしてみました
父の考え 母の考え 兄たちの想い それぞれあって
一番チビの私の考えに みんなは大笑い
でも 私は大真面目
笑いながらも こうやって話せることがいいことよねと兄
死は いつか必ず来るもの だから ちゃんと 向き合いたい
そんな話の中で 血のつながりがあることの強さの話になって
一緒に居た時間の長さより 何よりも やっぱり血のつながり(濃さ)であって
同じように どんなに仲が良かろうと 祖父母と 父母との違いはあって
それが ものすごい現実味を帯びてきて・・・ 今ならわかる この気持ち
10年ほど前 祖母が亡くなりました
小さい頃からかわいがってもらって たくさんの思い出があります
一緒に散歩に行ったこと 温泉に行ったこと
兄たちとは違い 私は祖母と同じ部屋で生活し 介護が必要だった時期も長く
私自身 充分に寝られなかったことも
母に内緒で祖母にお菓子を買ってあげたり
倒れた祖母を毎晩起きて 抱きかかえたことも
しんどいなと思うこともあったけれど やはり大切で 大好きな祖母でした
祖母が亡くなって数日後
私は母にこう言いました
「この部屋 自分の部屋にしていい?」
祖母の介護用ベッドが部屋の大半を占め 私は床に布団を敷いて寝ていた数年間
この言葉にはもちろん 10分の1ほどは 自分の部屋が欲しかった という気持ちもありました
母は 「いいよ 好きなようにしんちゃい」
笑顔で言ってくれましたが
その日の夜だったか 母が友人に電話で話していた声を耳にしました
「もう少し そのままにしておきたかったんだけど
MIHOちゃんも ずっと自分の部屋が欲しかっただろうしね」 と
私の気持ちの10分の9は 少しでも早く 母の笑顔が見たかったから
今ならその方法が母を笑顔にする方法ではなかったことがわかるのだけど
その当時はわからなかった
まだ 子どもの頭だったな~ といつも思い返します
目の前に 祖母の思い出がある状態だと 母はいつまでも辛いだろうと思ったから
と 発した言葉
あれが自分の親だったらと
やっとわかったあの頃の気持ち
みんな 家族は元気だけれど
誰もがいつどうなるかわからないということを
ここ最近ひしひしと感じるようになりました
死に対して 思っていることを
みんなで笑って話せることって すごく幸せで 大切だなと思います
照れくさいとか まだ早いとか思いがちだけど
日頃から そういう話を明るい気持ちでみんなで話せたらなと
ちなみに 私と父以外はみんな 今を楽しく生きる と考えるタイプ
私と父は 今も楽しむけど ずーっとこの世に執着したいタイプ(笑) でした
10年後かも20年後かもしれない
でも 自分だって 明日どうなるかわからない
だから 伝えられる時に伝えておく
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