後悔



家族で「後悔」についてちょっと話すことがあって
自分が後悔していることってあるかなと 考えてみました

やってみたかったこと これについてはたくさんあるのだけれど
「後悔」というと 違うような気がします
別の言い方をすれば そのとき思っていた後悔は
それなりに挽回してきたような・・・
大学のこと 仕事のこと 海外のこと
そのときそのときに思っていた大きな後悔も
後になってみれば思い出しもしないほど小さいものだったり・・・


そんななかで
本当の「後悔」というのは 私にとって おばあちゃんかなと


おばあちゃんが亡くなって10年
私にとっておじいちゃんの記憶はなく おばあちゃんもひとりだけ

当時 しゃきしゃきしていたおばあちゃんも 足腰が弱くなって
数年間 私と同じ部屋で寝起きを共にしていました

思春期の頃の私は 心配しながらも優しくなれなかったり
キツい言葉をかけてしまったこともありました
あれが 今ならな・・・と 思います

亡くなる前 入院していたおばあちゃんのもとへ 毎朝
時には 母と行くとなかなか照れて話しかけられないので時間を変えて日に2度 
行っていました

ほとんど話ができなくなっていたおばあちゃん
私が行くとにっこり笑って 「みほちゃんじゃ」 と声を出してくれました

「元気になったら 何したい?」と聞くと

「もういっかい神戸に行きたい」

そして
「おばあちゃんの夢は?」と聞くと

「みほちゃんの花嫁姿を見ること」

本当に話ができなくなったころ 何度も
「元気になって一緒に神戸行こう」
「MIHOの花嫁姿見るんでしょ」と言ったのだけど
それは叶うことはありませんでした 


元気な頃 もっと一緒に話をしたらよかった
いろんなトコに行けばよかった
あんなこと 言わなければよかった

私にとって 大きな後悔は 今のところこれだけ

やってあげたいときに やってあげられるときに その相手はいない
なかなかいつもそのことを意識することはできないのだけど
ふっと我にかえったとき いつもこのことを思い出します

終わりを見て生きるわけではないけれど
終わりはいつか来るものだから 
その終わりは いつ来るかわからないものなのだから
そんな後悔は できるだけ しないように生きていきたいと思います

「後悔」は自分自身の夢とか生き方とか そんなことよりも
相手があることのほうが ずっとずっと大きいものだと 私は思います

コメント

  1. うちもそー思う!
    自分自身の問題ならまだしも、相手がある事って辛さ半端ない。しかも、たいがいが取り返しつかんタイミングで気付くっていうね。学びを活かしたいね。

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  2. 私も、数年前におじいちゃんを亡くしたので、とっても良く解る!!
    こうすれば良かった、ああすれば良かったと色々と考えてしまうけれど、それを全てしていたとそても私は今と同じように後悔してたと思う。
    ありきたりではあるけれど、おじいちゃんを見送れたことが良かったかな。
    もし私が先に亡くなって、おじいちゃんを悲しませるなんてことがあったら、、、なんて思うとそれだけでとってもつらい。
    いつか、おじいちゃんにまた会えたら、今思ってること全部伝えたいし、ありがとうっていっぱい言いたい。

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