食べられる幸せ

 
大豆アレルギーかも?と考えてから
手にするもの手にするもの 表示が気になるようになりました
 
まだ決定なわけではないから それこそ敏感になりすぎてもいけないのだけど
どうも調子が悪いので どうしてもそう考えてしまいます
 
何も気にせず 好きなものが好きなだけ食べられるということは
すごく自然なように思えて とても幸せなことだと思います
 
私もずーっとそうだったのに
社会人になって あるとき 大好きだった缶コーヒーが飲めなくなりました
よく飲んでいた発泡酒も 飲めなくなって
今は もしかしたら大豆製品も???
 
気持ちからということももちろんあるとは思いますが
ある一定のものたちに敏感になってくるというのは なんなのでしょう?
 
私はムカシから 基本的にコンビニ弁当やインスタント食品とも
ほぼ無縁の状態で生きてきた人間なので
過去のいろいろなものの蓄積 とはちょっと違うと思います
 
人工甘味料がどうとか 保存料がどうとか
あーだこーだと言うこともしたくはないのですが
花粉症にも それぞれの人で限界の花粉蓄積量があって
それを超えると花粉症になるというので
もしかしたら 現代のいろいろなモノは 個人によってそういうメーターが
あるのかもしれません
 
もし大豆製品も食べられないとなると すごくショックですが
既にいろいろと対処法も調べたりしています
できなくなったことを悔やむより
それは仕方がないことなので 対処法を考えて
上手に付き合っていかないといけないと思っています
 
みんなに最近すごく驚かれるほど痩せてしまって
海外帰りのころは「どうなろうか・・・」と言っていた母にまで
「もうちょっと太らんと・・・」と言われているほど
仕事をし始めてから無意識のストレスが体を蝕んでいます
 
心は楽しいのに 心はもっともっと頑張りたいのに
どうしてこうも体は言う事を聞いてくれないんだろう??
 
頭で考えても答えは出ませんが
自分が元気なころは どんな頃だったか それは 体がよく覚えています
 
本当に自分にとって 何が大切か
体は一生懸命教えてくれているのかもしれません
 
でも 頑張りたいんだよなー・・・
 
話はそれましたが 食べられるということは 幸せです
世の中には いろんな状態の方がいます
一部のものが食べられないだけなら 私はまだまだ幸せです
 
 
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