苦労は買ってでもしろ

 
今日 父の友人が実家に来ていたので 同席し いろんな話を聞きました
 
父の話は これまでもいろいろと聞くことは多く
それはそれは苦労してきたのだなということと
ここまで来るまでの努力やらなにやら 考えることは多かったのですが
 
最近 戦後70年を期に 戦前戦後を生きた人たちの苦労を聞くことも多く
父の生きた人生も そして 父の周りの人たちの人生も
今の私たちからは 想像もできないほど
たったウン十年の違いでも 私たちは 生まれたときから不自由はなく
食べるものに苦労をするということなく生きてきた
父の世代の「努力」と 私たちの「努力」は そもそも 時代ならではの大きな差もある
 
私は 自分自身で「人に語れるほど」の人生を作りたくて 大きくは10代から20代に
① 大学の再受験
② 海外生活
このふたつを自分に課した
 
周りからこの文字だけを見れば たいしたことがないように思えるけれど
自分を追い詰めて追い詰めて 一瞬一瞬が本当に濃い 忘れられない時間だった
今でも このふたつの時間 すべてを鮮明に覚えています
それは確かに 今の自分に大きな影響を与えるほどの 大きな経験だった
 
でも
 
父や 父の周り 戦前戦後の人たちの苦労は こんなもんじゃないんだなと
 
本当の意味での「ハングリー精神」 足りないなと
 
苦労した とか 努力してる とか
言葉で言えるほどの軽いもんしか 今の時代では到底味わえないんだなと
 
大学の再受験も すごく辛かった
追い込んで追い込んで 高校生ともう一度肩並べて勉強して
早朝はバイト 先生たちに頭下げて朝早くから夜遅くまで時間作ってもらって
 
合格がわかった日 母とドトールで待ち合わせして飲んだコーヒー
一生忘れない
 
会社辞めて海外へ
不安だらけのなか 言葉の壁 仕事を見つけられない辛さ
甘えを絶とうと 日本と連絡を絶った日々
人生で一番美味しくない食事
 
海外に旅立つ直前も 帰ってきた日の食事も 大好きな 餃子だった
 思い出と 食事 家族の温かさ
 
私は 恵まれた環境の中で 自分から作った小さな苦労
 
恵まれない環境の中で 必然的に起こる苦労とは 比べ物にはならないけれど
 
本当に 心から「頑張った」と胸を張って言える経験は
その後の人生に大きく影響を与えるって 少なからずわかっています
 
苦労しない人生は それはそれで幸せかもしれない
何不自由なく過ごせる人生は それはそれで幸せかもしれない
 
でも 私
苦労した人生のほうが 普通の幸せが 普通の何倍も何倍も幸せに感じることも知れたから
心から 「苦労は買ってでもしろ」って 思える
 
それこそ 父や 父の世代 もっと前の時代は
苦労は必然のものだったのかもしれません
 
私たちは お金を払って 苦労を買うだなんて 幸せすぎて ふざけた話かもしれません
買わないと 経験できない時代になってしまったのかもしれません
 
でも 苦労は 買うだけの価値があると思います
 
苦労の質はまったく違うかもしれないけれど
おばあちゃんの貯めてくれたお金を無駄にしてまで再受験をし
それまで貯めたお金をすべて使ってまで海外に行って得た自分の苦労は
それをしない人には絶対に得られない
 
その苦労で得た喜びや経験は お金に換算できない
 
でも今日 また思いました
今 私は 「苦労をしているか?」
 
楽をしてしまってはいないか? 人に語れるほどの人生を歩んでるか?
 
人生は一度
 
人に語らなくてもいい 
でも 人に語れるほどの人生を歩んでるか?
 
 
さて 明日から どう生きるか
 
 
 
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